OCWとその認知度、またアクセシビリティについて思ったこと

OCWという言葉をそもそも聞き慣れないせいで、日本人のどのくらいがこの概念について知っているのだろうか。

結局、知るものしか利用されないようではよろしくなく、常識として日本人の全ての人が知っている前提を作った上で、利用する・しないの判断が行われるような状態が望ましいと考える。

もったいない、日本人ならではの考え方かもしれないが... 京都大学OCWに限っていっても6000もの(品質が保証されている)講義が無料で受講できる時代にまで来たのは喜ぶべきだろう。

もちろん、コンテンツの拡充やOCWに協力的な大学を増やすなどの課題はまだまだあるが、それと平行して認知度を高めていくこともOCWの拡充に間接的に貢献できると考える。(MITの入学生のうち一定数がOCW活動が入学の理由だったように。つまり大学にも見返りがある取り組みだ。)

英語を目の当たりにしても、当たり前のようにINPUTできる人とそうではない人がいる中、根本的な概念は英語圏をベースとしても、やはり日本国内で認知度を上げると考えると、概念の翻訳は必要になってくるように思える。

あくまで主観での話に過ぎないが、 Open Education という言葉を日本語で伝えようとした時、どのような言葉が良いのだろうか......

教育の自由化、みたいな言葉が刺さりやすいかもしれない。フリー教育だと低質な印象を与えるが、ここでいう自由化の場合、公立が民営化されるという意味合いは感じられず、どちらかというと今まではクローズドであった教育の中身をオープンにする印象の方が強く感じられる。

また、アクセシビリティにも課題があり、OCWでコンテンツがオープンになったは良いものの、そのコンテンツにたどり着くまでの道筋は容易かどうか。

コンテンツ、LMS又は配信サイト(YouTubeを含む)、履修するユーザー、これらの内、LMS又は配信サイト(YouTubeを含む)と履修するユーザーを繋ぐプラットフォームがあれば、異なるOCWプラットフォームにおいても、自身の興味・指向性にあったコンテンツにアクセスできる可能性が高まると予想される。